こちら上信越日本鉄道広報室

maedon74の趣味の話

右や左のキハ30系様

トミックスのキハ30首都圏色が

やっと発売になりまして

とりあえず、1輌買ってみました

 

と来れば、やることはもちろん

カトーのキハ30と並べての比較ですね

 

補強板が別パーツということもあるのでしょうが

何というか、のっぺりとした顔立ちなんですねぇ

キハ20もキハ40ものっぺり気味だけどな、トミックス

 

正面から見てみますと

カトーはちょっと窓が気持ち小さいかな・・・?

トミックスは従来の一般型キハ製品にはなかった

パーツが新規に用意されていて

これは後々ゆっくり取付作業をする予定です

 

さて、実車のほうのキハ30系といえば

地元八高線での姿が今なお鮮明に思い起こされます

音の割に全然加速しない発車時

のどかにジョイント音を立てる惰行時

壊れそうな音が響き渡る制動時

何もかもの音が懐かしいですね

 

余計な注釈をさせてもらうとすれば

今回トミックスが模型化したスタイルである

補強板なし、通称「目玉焼き」二灯シールドビームが

きっちり揃ったキハ30は

最末期の八高線でいえば

たった2輌しかいない超少数派だったりします

該当するのはキハ30 30と97だけで

あとは補強板ありだったり

通称「ブタ鼻」二灯シールドビームだったり

それらが混じっていて

どちらかといえばカトーのライトを換えたほうが

再現しやすい形態だったりします

 

補強板はないのに「ブタ鼻」で

しかも500番代という稀有な例はキハ30 503

末期の八高線唯一の500番代キハ30だったりします

再現するにも屋根どーすんのさ

 

多数派を占めるのが

補強板ありの「ブタ鼻」でした

というか、こればっかりでしたね

これはキハ30 79です

 

「目玉焼き」なのに補強板ありという

トミックス製品的には天邪鬼な例、キハ30 89

これは補強板を付ければ再現可能です

 

こういったちょっと一筋縄ではいかないクルマたちが

高崎駅の先っぽでアイドリング音を上げていたあの頃が

今となってはたいへんに懐かしく思い出されます

 

そもそもJRマークが付いているのは

キハ30とキハ38だけでしたから

運よくキハ35だけで組成された列車に逢えれば

国鉄の雰囲気を色濃く楽しめるクルマでした

 

そんなワタクシが八高線以外で

キハ30系を撮ったことが

たった2回だけあります

1回目は旧色時代の久留里線

雨のそぼ降る1995年3月末のことでした

 

2回目は新型への置換え前夜となった2012年3月

キハ38とは16年ぶりの再会となりました

 

ラウンドハウスブランドでカトーが出していた

キハ30一般色タイプを所有していて

こういうことを言うのもアレですが

ワタクシにとってキハ30系は

八高線での姿が馴染みすぎて

首都圏色が一番かっこいいと思います

 

そういえば置換え前夜の久留里線には

八高線から転属してきたキハ30もいました

このクルマも、やはり16年ぶりの再会でした

 

ラストショットはキハ37キハ38の連結面

資料として屋上のアンテナ周辺を撮ったものが

ワタクシの最後のキハ30系の写真となりました

 

関東鉄道の移籍車は一度だけ撮りましたが

2006年の撮影でしたから

再訪問も叶うことなく終わりました

 

足尾駅の保存車は

間藤までの乗りつぶしの際に

車窓から数枚連写したきりです

目の前に立って見てはいませんし

これは久留里線再訪前の撮影なので

久留里線再訪以降

実車は今もってまったく見ていないのです

201系の日

その電車を初めて目の前で見たのは

もう30年も前の話になります

黄色い電車の沿線に住む親戚に誘われ

初めて交通博物館に遊びに行った日のことでした

少しずつ身に着け始めた知識で

「同い年の電車」と知ったのも

確かこの頃だったような気がします

 

進学後、毎日のようにこの電車と

触れ合うようになるのは

さらに5年後の話

 

201系はモノクロでの写真映えもよく

何度も題材にして撮っては

暗室作業の授業でプリントしていました

 

当時通っていた市ヶ谷の駅は

ホーム先に花壇がありまして

これもよく題材に選びました

 

その頃は土曜日にも授業がありました

当時の楽しみといえば

土休日ダイヤで朝にやってくる

国鉄色183系さざなみとの離合写真でしたが

ダイヤの都合で並ぶのはいつも201系

103系と並ぶことはありませんでした

 

お堀端の桜と黄色い201系の組み合わせは

よく似合っていたことを思い出します

 

さて、201系といえば当然オレンジのほうも撮っているのですが

こちらは黄色よりちょっと遅れて

1993年8月の東京駅の写真です

撮影の数日前、台風で御茶ノ水駅が不通になり

まだ高架になる前の東京駅中央線ホームに留置中の姿です

 

高校の撮影旅行で青梅の鉄道公園に行くときも撮りました

 

電化直前の八高線を撮りに行ったときには

帰りに拝島の留置線脇で見かけました

 

一番面白かったのは

神田駅のカーブだったかもしれません

 

1999年頃には、中央線110周年のステッカーが

前面に貼られていました

 

やがて、沿線に住むネット仲間と親しくなり

遊びに行った帰りにも撮る機会がありましたが

この頃には新車に押され

もうだいぶ数を減らしつつありました

 

日なたの201系は

その色合いもあって暖かそうな感じです

 

201系の中から201系を見る

そんなぜいたくな時間も

今はもうなくなってしまいました

 

これもまた、前出の友人と遊んだ帰りに撮ったものです

 

コミケの帰りに、三角屋根と絡めての一枚

どちらももう見ることができません

 

東京駅に入ってくる201系

入線前に幕回しをしてしまうので

折り返した後の行き先が分かります

 

これも同じ日の新宿駅

いわゆる「葬式鉄」がわんさと湧いていました

 

交通博物館があった頃は

よく見に行ったアングル

そういえば、30年前のあの日

ここにある焼肉屋さんで

親戚にごちそうになったことがあります

(展望席から撮った写真は行方不明になりました・・・)

 

聖橋の上も、よく201系を見に行った場所です

 

現在公開中の話題の某アニメで

ここが聖地になるとは思いもしませんでしたね

 

黄色、オレンジと来たので

最後に青いのを並べてみましょうか

黄色い電車が全部銀色になるちょっとだけ前

事情通である高校の先輩から

「関東でも青い201系がデビューするよ」

と聞かされ「マジかよ」と思っていましたが

実際に工場からの出場回送を目撃して

ひっくり返ったことが思い出されます

 

思えば総武線時代の編成そのままでしたね、これ

 

関西の青い201系は

スカートに車番を書いていたので

撮影後も編成の特定が容易で助かりました

 

関西で見かけた201系は

当時走っていた青いやつだけで

オレンジや黄緑はまだ登場前でした

それにしても、自分と同い年の電車が

もう関東では走っていないということに

自分の年齢を思い知らされたような気がします

 

そんな201系ですが、上信越日本鉄道では

懐かしい姿をとどめて今もずっと現役です

 

E127系の日

E127系といえば

0番代と100番代で

外観が全然違うことで知られておりますね

かく言うワタクシは

どちらも見て(撮って)おります

 

その存在を知ったのは

確か1994年頃の鉄道ダイヤ情報だったでしょうか

ステンレス車輌なのに

ビードのないすっきりした車体に

何となく未来を感じていたのでした

 

続きまして、100番代

当時は大糸線専業のクルマで

関西旅行からの帰りに夜行列車を

「ちくま」「アルプス」と乗り継いで

(当時は松本で乗り換えられるダイヤでした)

「アルプス」終着駅の信濃大町で待っていたのが

南小谷行きのE127系100番代なのでした

当時「ちぇー115系じゃないのかー」と思っていたのは内緒

 

対向の松本行きもE127系

構内留置もE127系

思えば、この信濃大町

一生分のE127系分を摂取してしまったような・・・

 

そんなE127系に早朝の奥安曇野を揺られて

南小谷にたどり着きまして

乗り換えの合間に跨線橋の窓からパチリ

模型の資料になったのかならなかったのか

よく分からない一枚になりました

 

どちらかといえば

続けて撮ったこの編成写真のほうが

参考になったような気がします

背後に積み上げられた雪がものすごいですが

これでも4月中旬の撮影なのです

 

さて、模型のほうはといいますと

0番代は、あの日新潟駅で見た番号の編成が

そっくりそのまま模型化されておりまして

そりゃ、再生産のときに買ってしまうわけですよ

 

100番代は、3編成がおりますが

この編成数、「同一形式、同一塗色」という

縛りで所有各車を見ていきますと

ステンレス車輌としては

弊模型鉄道最多編成数を誇ります

(鋼製車輌は当然地元新前橋の115系ですね)

 

折からの時局もありまして

「また乗りたいなー、撮りたいなー」と思っても

なかなか行けないのが実情な昨今でありました

 

119系の日

去年は119番のお話をしましたので

今年は119系電車のお話をしたいと思います

来年はどうするんだ

 

飯田線好きのくせに

飯田線にまだ一度も乗ったことがないと

豪語するワタクシですので

当然、119系も乗る機会は一度もありませんでした

唯一、高校一年の撮影旅行の際に

上諏訪でカメラに収めることができましたが

これ一枚しか撮ってませんので

車番も分からずじまいです

 

でも、模型のほうはといいますと

実際に見ることができた輌数以上に持っていまして

 

うちの飯田線戦前形ゲタ電ズに合わせて

119系も室内灯完備という・・・

飯田線80系と165系にも室内灯はよ

 

室内灯を組み込むと

駅のレイアウトセクションで映えますね

 

対向列車ももちろん119系

 

こうやって線路をつないで撮影することは

まれによくあります

 

発売と同時に買い込んでから数年

今回ようやく、クハにジャンパ栓受けを

取り付けることができましたが

どうやら老眼が始まっているようです・・・

 

雪のおもしろう降りたりし朝

鎌倉・南北朝期の随筆「徒然草」に

「雪のおもしろう降りたりし朝」という段があります

当時と現代では「おもしろう」の意味が異なりますが

ワタクシにも雪が降ったあとを

面白く感じた時期があります

 

その道に詳しい人なら「おっ?」となる写真です

寝台特急「北陸」が雪止みの朝の高崎駅に停車しています

周囲には降り積もった雪・・・

本来のダイヤであれば、こんな写真は撮れません

関東を襲った雪で大幅に遅れ

ワタクシのカメラに収まってしまったのは

きっかり25年前の今日のことでした

 

まだHゴムも白いのが普通の時代です

 

か、架線柱のビームに白い大蛇が!

・・・と思ってしまうような積雪です

この日、学校への通学路はただひたすらに真っ白でした

 

学校帰りにも、面白いものが待っていました

この写真、ちょっと見には「能登」の営業運転を撮ったもので

「あぁ、北陸地方のどっかの駅でしょ?」となりそうですが

架線の碍子は直流のものですし

何よりホームの時計は16時38分です

朝の4時38分では決してないことは

線路に降り積もった雪が証明していますね

さて、種明かしをしますと

これは新町駅に停車中の回送列車なのです

能登」のヘッドマークを付けたままでしたので

ワタクシ、そりゃもうびっくりいたしました

 

最後尾を撮って、次は先頭部を拝みに行こうと歩き出した途端

能登」のふりをした回送列車は発車していきました

後に残されたワタクシは仕方なく

雪の駅構内を撮って帰ったのでした

あけまして遅れました

大変遅くなりましたが、あけましておめでとうございます

今年も弊ブログをよろしくお願いいたします

 

正月はこんなものを見に行っていました

はしご車の先に垂れ幕をぶら下げるとは

なかなかいい発想ですねぇ

 

さて、今年は卯年ですね

ウサギといえば、関東の鉄ちゃん的には

これを出さねばなりますまい

ナニ? ただの115系じゃないかって?

 

いやいや、方向幕をよく見ていただきたい

つまりはそういうことなんですね、これ

ラビットと名乗るほど速くもなかったけど

 

後年には、高崎線との誤乗防止に

幕を緑色地にしていましたが

百戦錬磨の鉄ちゃんはさておき

非鉄の一般客にはどれだけ効果があったんでしょうかね

 

ちなみに、東北本線の幕のみを色違いにするというのは

別に唐突に始まったわけでもなくて

古くは115系のサボを水色地にしていた歴史があります

黒磯駅ではそのサボを惜しげもなく

どどーんと再利用していたのですが

これは今もあるんでしょうかね・・・?

定点観測の愉しみ(2)

先般、家族で都内に出かける用事がありまして

たまたま別行動の時間ができたものですから

鉄道とバスを堪能したあと

ふと思い出してとある場所を訪れてみました

 

2007年12月の渋谷駅前です

 

若干アングルは異なりますが、2022年12月

15年の歳月の間に何があったんでしょうね

JR駅舎以外、面影があんまり残っていません

まぁ、こんなこともあるので撮影記録は大事です