583系を想う季節
冬が来ると、決まって583系を思い出します
何度となく撮影の機会には恵まれましたが
乗車する機会はまったくありませんでした
奇しくも今日は、28年前のダイヤ改正で
定期運用廃止後の臨時「ゆうづる」が廃止になった日です
当時愛読していた鉄道雑誌では
583系がよく特集記事になっていました
本系列で運転される「ゆうづる」は
ヘッドマークの絵柄が特に好きで
憧れの列車でもありました
1993年2月のある日のこと
いつものように中学の部活をサボって
バッグの中にはもちろんカメラを忍ばせて
新前橋の電車区を覗きに行ったところ
敷地内に見慣れない電車がいるのに気付きました
そうです、あの583系がそこにいたのです
583系といえば配置は青森で
こんな北関東の西側にいるはずがないのですが
冬の定番運用であるシュプール号の間合いに
新前橋に入区していたのです
本来なら地元で見ることのできない電車を見つけてしまった以上
何もせずにはいられず、気がつけば
電車区の事務所で撮影の許可を乞うていました
1993年といえば国鉄民営化からまだ6年しか経っておらず
「事務所に行けば撮らせてくれる」雰囲気が
まだ何となく残っていました
突然のアポなし訪問にもかかわらずあっさり許可が下り
親切な職員さんの立会いのもと
初めて電車区の奥まで足を踏み入れて
地元の電車との並び写真まで撮ることができましたが
もちろん今ではこんなことは叶わないでしょう
それから6年後
今度は走行写真も撮ることができました
末期の6連ではなく、サロ込みの9連
あの「ゆうづる」と同じ編成です
地元で最後に見た583系は6連に短縮され
臨時「あけぼの」に充当された姿でした
せっかくだからということで
ビデオカメラで入線シーンを撮ってみました
時間は朝の4時過ぎ
眠い目をこすって・・・ではなく
夜ふかしの延長線で撮影したものです
最後に見たのは、初めて新前橋で見たあの日から
きっかり20年後の冬でした
あのとき電車区で見たときの威厳をそのままに
往路の途上でかぶった雪も落とさず
シールのヘッドマークもはがさず
最後は回送として目の前を走り去っていきました
思い起こせば
その583系はお小遣いの都合で当初4連でしたが
じわじわと編成を伸ばし、実車と同じ9連になって
「ゆうづる」として今も現役で走り続けています
上信越日本鉄道にはその9連の他に
末期仕様の6連も在籍していて
こちらはその最後に見た実車そのものを再現すべく
別売りの「あけぼの」のヘッドマークを掲げてあります
もう583系のような旅情をかきたてる列車は
現れないのでしょうか
定点観測の愉しみ(1)
定点観測という言葉をご存知でしょうか
本来は気象観測用語で、現在は経済の話でも使う単語ですが
同じ場所で、時期を違えて何枚か写真を撮って
それを並べて被写体の変化を見て愉しむこともそう言います
私はこれを写真学校の授業で知って以降
いろんな場所で撮影しています
1996年1月21日の八高線竹沢駅
この写真単体で見るのであれば
背後のキハ30系に目が行きますね
都内まで出かけた帰り、この列車に乗って
貨物列車との交換待ちの間に撮ったものです
こちらは2005年4月1日の撮影
あんなにうじゃうじゃいたキハ30系どころか
貨物列車も姿を消してしまいました
写真を見比べてみると
自販機の上にあったテントがなくなり
ゴミ箱も変わったことが分かります
この写真から3年後、駅舎は取り壊され
現在はコンクリ製の駅舎に建て替えられてしまいました
ロクイチ様に結ばれた奇妙な縁
またまたご無沙汰してしまいました
さて、今日はロクイチ様こと
EF58 61についての思い出話です
鉄ちゃんなら知らぬ者はいない「ご神体」
私、鉄道雑誌などでほぼ毎月のように
その姿は誌面で拝んでいましたが
実際にこの目で見たのはそこそこ遅い時期で
1995年3月、地元の駅でのことで
ファーストショットはこの写真でした
折からの小雨交じりの天気の中
同僚EF58 89と重連でやってきたロクイチ様は
この駅で牽いてきた客車とお別れし
背後にたたずむEF62 54に交代したのでした
「友人A」を通じて数ヶ月前に知り合った「友人B」に
このとき、この駅で偶然再会したのは
その後の奇妙な縁の始まりだったのかもしれません
その後、その「友人A」「友人B」とともに
当時所属していた鉄道クラブの記念列車に乗る機会がありましたが
牽引機はロクイチ様とPFのPP
客車はあの日見たサロンエクスプレス東京でした
お金がない貧乏学生だったもので、手元にその写真はありません
その年の秋、「友人A」とは両毛線お召運転で同行
写真はリバーサルフィルムのラチチュードの彼方に消えました
「友人B」とは中央本線お召試運転撮影でまた偶然再会したり
三国峠の向こう側に現れたロクイチ様を撮るために
「友人A」と水力発電所脇の斜面を必死こいて登ったり
いくつかの紆余曲折を経て
ようやくまともにリバーサルフィルムでロクイチ様を写せたのは
1998年のクリスマス間際の地元の駅
あのファーストショットの位置の向こう側でした
世紀が新しくなってからもまだ奇妙な縁は続きます
ロクイチ様はまたも次位につながれて
何とも頭のおかしな編成で
地元の駅に現れたのでした
このときのロクイチ様は三重連のど真ん中に封じ込められて
ご尊顔を拝見するチャンスはまったくありませんでした
ロクイチ様の走る姿を一番見たのは2006年9月
今度は長野の客車を牽いていました
復路は大正橋で捉えるものの
曇天で張りのない写真に仕上がってしまいました
もっと納得のいく写真が撮りたいと思って
翌日、沿線の駅で撮ってみるも
これまた曇天で締まりのない仕上がり
ならばもうここしかねぇ!と
愛機をすっ飛ばして一か八かで追いついた先で
キメた流し撮りが私にとって
最高のロクイチ様走行写真となりました
走るロクイチ様を最後に撮ったのは2007年3月
4年後の同月同日に大震災が起こることなど誰も知らず
まだろくに再開発される前の高崎操車場で撮ったものです
最後尾にはEF64 36を従えて
あの懐かしい色のままの客車を牽いて
ロクイチ様は私の目の前から去っていきました
あれから15年半
現役時代に見ることが叶わなかった
二旒の日章旗を掲げて
ロクイチ様は鉄道博物館にて静態保存となりました
私がロクイチ様に感じてきた多くの想い
その一つにもに気付かぬ様子で娘氏はただ笑っていました
いつか、この機関車の美しさが分かってくれたらいいですね
そんな鉄道博物館での公開初日
私はロクイチ様の前で「友人A」と偶然の再会を果たすこととなりました
ロクイチ様は相変わらず、奇妙な縁を取り持つようです
あのロクイチ様の公開初日ということで
とんでもなく混むかと思ったら
昨今の状況に伴い予約制の入場のため
拍子抜けするくらいにまったりした雰囲気でした
ちょいと横を見れば
かつて多くの人々の眼前を颯爽と通り過ぎていった
あの頃の雄姿がそのままでそこにありました
そこには、鉄路を吹き抜けていった風すらも
一緒に身にまとっているような姿のロクイチ様がいました
夢の終わり
いやぁ、来ましたねぇついに
来るべきものが来たというか・・・
いえね、某所でこのポスターを見かけた瞬間は
狭窓流電キマシタワァ*・゜゚・*:.。..。.:*・゜(n’∀’)n゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*!!!!!
なんて思ったんですけどね
一呼吸も二呼吸も、いや五十呼吸くらいしたあとに
改めてポスターの内容を読んで見ましタラバガニ
どっかの月刊じゃなくなった鉄道雑誌の特集タイトルを
思わせるような文句が書いてあるじゃないですか
しかも「第2弾 クモハ52(2次車)2023年登場、フィナーレへ」
とまで書いてあって、言葉にならない声が出ました
あぁそっか、終わりますかー・・・
第3弾はないんですかね
クモニ13026は出ないんですかね
クモニ83101と102は出ないんですかね
面白いスタイルで個人的に好きなクハユニ56001は
同じくクモハ54007は、112は、123は
クハ68401は、クモル23050は・・・
言い出したらきりがない話ですが
模型でほしいクルマは際限なく挙がってきます
このあとは、開発データを流用して
そんなわけで、来年模型化が発表されたクモハ52003
もう20年近く前、グリーンマックスのキットを組んで
接合部にパテを擦り込んだだけの仕掛かり品ですが
こやつを今後どうしたらいいんでしょうかねぇ・・・
都に沼の増えるごとく
丸二ヶ月近く、ブログを書かない間に
また一つ歳を取りました
女房殿のお金で資料本を買いましたが
これがまぁ何というか、濃すぎる内容でして
一言で言えばまさに「沼」なのですね
そもそも旧型客車自体が沼なのは当然なのですが
こうした資料本の内容を理解するために
必要な知識という武装の段階でもう大変なもので
新型客車に分類される12系、14系、24系、50系などに至っては
簡潔すぎると言っていいくらいのレベルだったりします
地元ネタはあんまりないのですが
客車の歴史を理解するためには
うってつけの本かもしれません
62といえば
62といえば
地元を駆け抜けたEF62をはじめ
ED62とかモハ62とかいろいろありますが
あえて触れておきたいのが、C62です
日本最大の旅客型蒸気機関車、C62
動いているC62を見たのは、高1の夏が最初で最後です
友人のカメラマンに誘われて初めて渡道した初日に
銀山の稲穂峠でC62 3を撮ったのでした
知識として知っていたのは
現役時代のC62重連がこの地を走っていたこと
遠くからジェット機のような音をたててやってくること
そしてそれは今なお伝説として語られていること
鉄道雑誌で読んだそれらの話を思い出しながら
初めて訪れた路線の沿線で、C62はどんな姿を見せてくれるのか
ドキドキしながら待っていたのを覚えています
C62は、鮮烈な印象を残して目の前を通り過ぎていきました
スハフ44の重厚なジョイント音と
息がつまるくらいの煙を残して・・・
復路は塩谷の駅でじっくりC62を見る機会に恵まれました
この日本最大の旅客型蒸気機関車が
とても大きく、とてもかっこよく見えました
当然のことですが、スハフ44の観察も忘れません
C62の後ろに連なる5輌の客車を撮っているうちに
青15号の旧型客車のかっこよさにも目覚めてしまいました
撮影を終え、地元に帰ってきてから数年後
カトーさんのC62を手に入れた私は
銀河モデルさんのパーツを取り付けまくって
あの日のC62の再現にいそしんだのでした
そりゃまぁ、加工したのが前世紀なのですから
あちこちパーツがへたってきたり色が剥げたりしますが
加工から24、5年を経た今でも
「かっこいいなぁ・・・」と自画自賛してしまいます
魂込めて加工しましたからね
それくらい、あの日見たC62はかっこよかったのです
もちろん、現役時代の「ニセコ」仕様のC62も持っています
こちらは10年前に買ったフルリニューアル品ですが
実車が極力現役時代そのままで復活させたものなので
このままでスハフを5輌牽かせても全く違和感はありません
しいて言えば、無線アンテナと副灯のリムの色くらいでしょうか
まぁ、その副灯のリムも、手持ちの資料を見る限り
現役時代には銀メッキの色が分かるものもあるので
カトーさんのASSYパーツを使って
銀リムの副灯に換えてもいいかなと思っています
それにしても、こうやって見比べてみると
旧製品も現行製品に負けていないディテールしてますねぇ
おっと、もげかかった標識灯だけは直さないと・・・
放置してます
いえ、このブログのことではなく・・・
ED75は大好きな機関車でして
上信越日本鉄道では機関車としては
2番目に多い輌数を誇っています
その数、実に18輌
1位はEF81の23輌。まぁオールラウンダー電機だししょうがない
さて、そんだけの数になると
各種メーカー新旧入り乱れての保有となるわけでして
持っているものが最新製品に近くなればなるほど
各部が細密化し、別パーツも当たり前になるわけです
カトーさんはありがたいことにこれだけ細密化しても
基本的にナンバーと銘板、カプラー交換だけで済みます
一方、翻ってトミックスさんはというと
ナンバー、銘板、カプラー、信号炎管、無線アンテナ、手すり・・・
さすがにちょっとげんなりしてきますねぇ
おまけに接着剤必須なものもあったりして
なかなか手を付ける気になれないでいます
そうして放置したまま10年ほど経過したものが
ちょっと思い出したくないくらいの数が
積みあがりつつあります
今日の写真のED75も、発売時に買ったものですから
今年の夏で丸10年が経とうとしています
そろそろいい加減に何とかしたいところですね