コデ165に逢いに行く
「海に行きたーい!」と娘氏が喚くので
嫁氏と娘氏を連れて海なし県を抜けて
小田原まで出かけてまいりました
さて、小田原駅前で
海水浴の帰りにマンホールの蓋を見たり
アホみたいにでかい提灯に呆れたりしながら
せっかくなので、ということで
嫁氏に断って一時間ほど自由時間をもらいまして
初めての大雄山線往復の旅をしてきました
細かい解説は省きますが・・・といいますか
各自でおググりくださいと言っておきましょう
少ない知識で乗りに行ってみると
「あれ?」という塗色で対向が来たりしますので
これはこれでなかなか面白いものです
終点、大雄山の駅に入線しますと・・・
いました! コデ165です!
伊豆箱根鉄道コデ165
元はといえば鉄道省モハ30系の流れをくむクルマですが
どうも前に在籍していた相模鉄道時代に
車輌更新の際に振り替えをしたとかしないとか
よく分からない経歴を辿っているらしく
書類上の経歴と実車の経歴が一致しないようで
何ともミステリアスなクルマとなっております
現在は両運転台となっていますが
これもつい25年ほど前の改造によるもので
どうやら廃車になった同僚のお顔を切り継いだとか
そんな話が絶えないクルマでもあります
帰りの電車待ちの間
ホームからじっくりと見学させてもらいましたが
何とも懐かしい思いをさせてもらいました
とはいえ、このHゴム化された前面窓
かつての関西筋の事業用車を思い起こしますね
クモヤ22とかクモル23あたりに
こんなお顔のやつがいたはずです
そんな思いを抱えながら
再び小田原に戻ってきました
地元の最寄駅から電車一本で
来られる場所ではありますが
また来られる機会があるかどうか
さらに言えばコデ165の動くところを見られるかどうか
小田原までかかる時間の長さを考えると
折からの暑気とはまた別に
頭がクラッとなる思いがしました
定点観測の愉しみ(3)
世間はGW真っただ中ということで
みなさま、世界の果てに出かけたり
未知の生物と戦ったりしてらっしゃるんでしょうか
かく言うワタクシめも
娘氏を連れて羽田空港に
飛行機ウォッチングに出かけまして
帰ってきてから撮ったものを
つぶさにチェックしておりましたら
2006年に撮ったものとほぼ同じアングルのものが
複数ありましたのでお見せしましょう
2006年
この色もこの機材ももはや懐かしいですね
2023年
いつの間にか
第3ターミナルなんてものができていました
もちろん機材も変わりました
2006年
このちっこい機材がお気に入りでした
2023年
レンズの焦点距離が少し異なりますが
構図はほぼ同一アングルです
この機材は今回は初見というほど
羽田にはご無沙汰してしまいました
久しぶりすぎて
撮りかたすら忘れてた今回の羽田
改めてまた訪れたいと思います
EF55製品化
というニュースに接しました
はい、これですね
願ってもない話に、思わず昇天するところでした
EF55は大好きな直流旧型電気機関車のひとつで
上信越日本鉄道では2タイプが在籍しています
しかし、さすがに現在となっては
その出来にいささかの疑問点が付くようになり
今回のカトーさんからの製品化発表は
願ったり叶ったりな話なのでした
因縁浅からぬという言葉では片付けられないほど
濃厚で密接なお付き合いがありました
今日はそんな思い出話をしたいと思います
昭和61年夏
翌年に分割民営化を控えた国鉄では
多くのイベントが催されていた・・・
と田口トモロヲの声で
ナレーションしてしまいたくなるほど
懐かしい昔の話です
写真に印字された日付、昭和61年夏のこの日
家族に連れられてワタクシは水上駅にいました
撮影をしたのはワタクシではなく父なのですが
手元に残っている写真を検討してみると
子供のためとはいえ
父が駅構内を駆けずりまわったことが分かります
どうやって追いついたのか分かりませんが
奥に写っている跨線橋からホームまで移動しています
当時の父は、今のワタクシより若い年齢でしたので
まぁ、体力があったんでしょう
ちなみに写り込んでいる腕はワタクシです
単機回送が折り返してくる間に、父は反対側のホームへ
真夏だというのに、本当によく体力がありますね・・・
まだかなまだかなーと待つホームのみなさん&ワタクシ
スエ78 15という客車にべた惚れしたのも
このときがきっかけでした
駅員さんと駅務掛さんの間から顔を出すワタクシ
こういうところは娘氏がしっかり受け継ぎました
カメラのストラップ越しに写る先頭部
この撮影に使われたカメラは
ワタクシの手元で静かに眠っています
そろそろ発車時間なのでしょうか
駅長さんの姿が見えます
顔立ちに面影が残っていないので
平気で載せてしまいましょう
当時のワタクシです
このあと「乗って帰りたい」と
駄々をこねた覚えがあります
そんな列車が編成丸ごと模型で製品化されるなんて
本当に夢のような話ですが
いい時代になったものです
さて、この話の続きは
発売後にすることにしましょうか
放置の終わり、ED75への見果てぬ憧憬
去年の記事で「放置」されてたED75ですが
震災12周年を機にいじりましたので、報告をば・・・
50系客車を牽引させてみます
赤2号同士よく似合いますねぇ
さて、直流電化区間に住んでいたワタクシと
ED75との関わり合いは、実は高崎が源流だったりします
というのも、当時高崎には39号機が静態保存されていまして
これを見に行ったのがED75との最初の出逢いでした
残念ながらこの39号機
横川入りを果たすことなく現地解体されてしまい
30年前に撮ったこの写真も行方不明になり
昔スキャンしたデータが唯一の思い出となってしまいました
その後、ED75が牽く50系客車に乗る機会もありましたが
そのとき撮った写真は撮りすぎて現像代が捻出できないまま
やがてただのゴミとなってしまい、手元には何もありません
そんなわけで、かたちとして残るED75の写真は
2007年5月の大宮工場一般公開で見かけた
全般検査中の1034号機の写真の登場を待たねばなりません
ただこのとき、ナンバーを確認し忘れて
何号機なのかずっと分からないまま幾年も過ぎてしまい
あるとき偶然1034号機について検索していた際
大宮での検査中の写真をネットで見かけて
やっとこれが1034号機だったと気づく体たらく・・・
その次に見たのは、水戸コミケの行き帰りに
水戸駅の構内でお昼寝中の1020号機でした
後ろにもう1機いますが、100・・・までは読めますが
肝心の1桁目が架線柱のトラスに重なっていて読めません
夕方にも超望遠で見てみたらまだいました
煮え切らない思いを抱えて
翌週、水戸を再訪した際に
駅構内の周辺を歩き回っていると
ED75が見えるところに空間があるのを発見
早速敷地外から撮影した1006号機は
あろうことか翌日付で廃車になってしまいました
この1006号機のナンバーを採用しています
見るだけなら1008号機も同時に見てはいますが
自転車置き場が被さっていて全体が見えません・・・
一番衝撃的な出逢いだったのは
2015年の今日、仙台で偶然撮れた759号機でしょうか
毎年恒例になっていた東北巡りを終え
帰りの電車を待っていたところに突如現れ
あまつさえおもむろにパンタを下ろして
「さあ撮れよ」と言わんばかりの姿でした
でもパンタは上げたままでいてほしかった
700番代特有のこのデコ感のある横顔!
これは惚れますわ・・・
実車写真のトリを飾るのは
鉄道博物館収蔵の775号機です
ワタクシが一番乗ったブルトレである
「あけぼの」のヘッドマークを誇らしげに掲げた姿は
高い入場料を帳消しにしてくれる美しさです
今夏にはカトーさんからフルリニューアルされる455系と並ぶその姿は
ザ・東北!といった感じです
そういえば、ED75のテールライト点灯中の姿って
鉄道博物館でしか見てないかもしれない・・・
大トリは模型写真で実車の最終号機である1039号機と行きましょう
12年前の今日、常磐線で悲壮な最期を遂げた同機ですが
模型ではいつまでも現役で走っていてほしいと願い
12年前の夏に買ったままほとんど放置していた整備を施しました
碍子を塗り、パンタシューのホーンを塗り
ヘッドライトの基盤をクリエイト工房さんの基盤に換え
カプラーは現在品薄のトミックスJC6379に換え
上信越日本鉄道に於いては完全に特別仕様機ではありますが
それだけの想いを込めた姿となっています
後ろに続くコキ50000も、あの日の92レの姿です
いつまでもいつまでも美しいままで走らせようと思っています
3.11を追いかけて(2)
石巻駅舎
大小さまざまな三角屋根が楽しい駅舎です
1年前にも同じ場所に立っていました
たぶんワタクシはこれからも
石巻に行くたびにここに立つんだと思います
向こうの小山は日和山
震災当日は多くの人がこの小山に登って
難を逃れたと聞きます
石巻駅前に出入りするバスは
バラエティ豊かで見ていて飽きません
こんなのも来ますし
こういうのも来ます
一通りぐるっといろいろなものを見てから
駅に戻ると、改札の向こうにまたコキ編成がいました
さっきとはまた別の機関車がいます
このDE10 1197は上信越日本鉄道にも在籍していますが
原色なのでそろそろ更新色にしてあげようかな
ずっと貨物列車を見ていたいところですが
それでは行程に支障が出るのでそろそろ出発です
今度は矢本駅で乗り換えです
列車代行バスはまだ到着していないので
駅前広場のバス停に並びます
到着した列車代行バスは最新鋭でした
車窓から泣かせる標語を見かけました
松島の景色を横目に見ながら
松島海岸駅前に戻ってきました
何度見てもいい意匠をしてますねぇ、この駅
階段にも歴史が詰まっています
そしてこのホーム
本当にウグイス色の73系がよく似合ったんじゃないでしょうか
ホームからは列車代行バス越しに松島の景観が見渡せます
さあ仙台に戻ろうと思ったら
おや、またM16編成です
今日はよく行き会いますねぇ
トンネルを抜けてやってきた対向列車はM13編成です
撮ろうと思ってもなかなか揃わない
青帯同士の離合シーンです
仙台に戻りました
このアングル、個人的にちょっとニヤニヤするアングルです
某えろげの背景画になったアングルだってことは内緒
帰りの電車を待っていたら
仙台空港鉄道の新車がやってきました
いっぽうこちらは701系
これまた上信越日本鉄道にも在籍しております
編成中には何と番代トップナンバー
あのーワタクシ何かしました?
福島駅構内
奥の719系が引退となった今では見られない光景です
郡山駅のいいところは
タキ編成の貨物列車が見られることですね
重なったところにさらに重なって・・・
あぁ、こっちはコキ編成でした
あれ? キハのナンバーがまた番代トップナンバーですよ・・・?
反対側も番代トップナンバーでした
つまりこの列車、キハの110、111、112の番代トップナンバー編成・・・
ワタクシ何もしてませんよいやマジで!
719系は、地元の211系とほぼ同じ顔立ちなので
とても馴染みのあるクルマでした
昼間、仙石線のクルマばかり見ていたので
この顔にすごく違和感が・・・
対比もできると思ったのですが
世の中そんなにうまくはできていないものなのです
振り返ってみますと
この日最初で最後の鋼製車体のJR電車乗車でした
こんな旅をまたしてみたいものです
3.11を追いかけて(1)
去年は震災後1年、2年を経た被災地
つまり2012年、2013年の被災地の
写真をご覧いただきましたが
今年は2014年の被災地をご覧いただきましょう
秋田県在住の友人に予約してもらった
現地の宿を足がかりに
今回は何と廃止直前の「あけぼの」に
ヒルネ乗車するワタクシ
その数日後
2014年の3.11の朝は仙台で迎えました
仙台といえば仙台市営バス
古墳の名前が行先になっているバスに
wktkしてしまったりするわけですが
朝の仙台市街地は
バスがどんどん来るもんですから
そりゃ気分もサイコーになるわけですよ(マテ
ジェットストリームアタックもやります
またの名を梯形陣
この日の旅の始まりは
色だけ見れば横浜線(
反対側は・・・えーとどこの路線ですかね
とかなってしまう2WAYシート車
もちろん上信越日本鉄道にも在籍しております
旅の行程表の予定時間に来たのは青い帯のM16編成
震災当日、野蒜駅を発車後に揺れに見舞われ
切り通しで緊急停止したおかげで
津波を逃れた幸運のクルマだったりします
そんな車内で
雲の切れ間からの日差しを浴びながら見る雪景色
ワタクシ一体どこにいるんでしょうねぇ・・・
まぁ、方向幕どおりに高城町駅まで行くわけですが
この高城町駅
たいへんとっても模型化したくなる駅でした
駅舎は玄関口がとってもあっさりしていて
どっちが本当の玄関口だか分からない駅でした
どっちがってほら、改札口のほうが
立派な造りになっていると思いません?
そしてさっき乗ってきたM16編成で
さっき来た線路を1駅だけ戻ります
高城町駅のお隣、松島海岸駅
駅のホームから名勝松島の景色がよく見えます
この駅はレトロな雰囲気がよく残っていて
今にも73系電車がひょっこり現れそうな雰囲気です
ここからは列車代行バスでの旅となります
車内はそれなりに高めの乗車率です
しばらく走ると
復旧工事中の仙石線が見えてきました
移設される野蒜駅の少し手前では
高架になる線路の工事中でした
足場の高さが半端ないです
移設前の野蒜駅が見えてきました
ひしゃげたままの架線柱が痛々しいです
駅前の橋の欄干も変形したままで
言葉を失います
過去ということは
列車代行バス乗車中ですが
途中で下車します
ちなみにこちらは列車代行バスの2号車
続行運転で乗客を取りこぼさないようにしていました
目的はこれ
ブルーインパルスのT-2練習機の保存機です
そんなものがどこにあるのかといいますと
実は鹿妻駅前だったりするんですね
地域的に全く関係ないマークが付いているあたりが
代行感を色濃く物語っています
列車はここから仙台方面には行かなかったのです
再び同じクルマに揺られて
ようやく石巻駅に到着です
石巻駅構内では
DE15改造のDE10 3508が
コキ50000の編成を相手に奮闘していました
少しすると、ゆっくりとコキ編成を引き出していきました
タンタン、タンタンと
静かに駅を出ていきました
コキ編成が何輌編成であったのか
数えていなかったので正確には分かりませんが
このアングルから見る限り
そこそこ長めであったことが分かります
このコキ編成も、今回の旅の目的の一つでありました
211系の日
やってまいりました211系の日!
115系なき今、地元の近郊型電車としては
最後の国鉄型電車となりました
流石だな國鐵髙﨑
ワタクシの鉄道趣味的には
カメラを持ち始めたころからの付き合いですから
こんな昔の写真なんかもあったりするわけです
まだグリーン車が連結される前の15連は
すらっとした編成美がとても好きでした
グリーン車が連結され始めると
編成美はさすがに崩れてしまいましたが
乗客としては大歓迎な出来事でした
窓がずらっと並ぶ「平サロ」も魅力でしたし
もちろんダブルデッカーも魅力でした
日中は、二階席から併走列車(主に京浜東北線ですね)の
パンタの上下動を観察していました
そうそう、211系といえば
形態差がなかなか面白い存在でした
例えば静岡ホビーショーなどで静岡に出かけることがあれば
出逢えることをとても楽しみにしていた電車でした
ここは新前橋の車庫の南端ですが
別に敷地内に入り込んだわけでも何でもなく
シャッターが開いていたところを
フェンス越しに公道から撮ったものですが・・・
一度だけ、こんなものに出くわしたことがあります
「いやそれコラでしょ?」と言われそうですが
それが本当の話なのですからもうびっくりでした
千葉転出前の最終整備みたいなもんでも
やっていたんでしょうかね?
変わった色で思い出したのがこちら
ごくたまに見かけますが、何度見ても
つい色調補正したくなります
湘南色といえば、こんなのもいましたねぇ
側面から見ると
115系が混ざっていて懐かしい気分になります
ちょっと痛々しい写真で申し訳ないのですが
踏切事故から引き揚げられたC12編成です
外れたライトベゼルから覗くライトリムが
国電であることを物語っています
ちなみにこの編成
ステンレス車体をどう修復するのかと思っていたら
グリーン車連結で余剰になったサハから外板を切り出して
模型よろしく切り継ぎ工作をして本線復帰しています
そうして相次ぐ踏切事故への対策として
スカートの強化と交換が立て続けに行われていきました
スカート強化もむなしく(?)
後継の新型車輌に追い出されるかたちで
211系は都心方面へは顔を見せなくなりました
あの長い編成はもう見られなくなりました
高崎線だけでなく
宇都宮線にも出向いて
記録撮影しておいてよかったです
ちなみにここ、前橋によく似ていますが
ホームの向こうがカーブしていることで
お判りでしょうが、古河です
高崎駅の手前で
うねうねと曲がってくる姿も
今や幻となりました
あぁそうそう、5連も幻になりましたねぇ
今や、さらに短縮されて4連ですから・・・
撮っていて、ちょっと物足りなさを
覚えるときがあります
最後に、懐かしのサロの形式写真を貼っておきましょう
この編成美もへったくれもない
よく分からない編成が大好きでした