こちら上信越日本鉄道広報室

maedon74の趣味の話

定点観測の愉しみ(1)

定点観測という言葉をご存知でしょうか

本来は気象観測用語で、現在は経済の話でも使う単語ですが

同じ場所で、時期を違えて何枚か写真を撮って

それを並べて被写体の変化を見て愉しむこともそう言います

私はこれを写真学校の授業で知って以降

いろんな場所で撮影しています

 

1996年1月21日の八高線竹沢駅

この写真単体で見るのであれば

背後のキハ30系に目が行きますね

都内まで出かけた帰り、この列車に乗って

貨物列車との交換待ちの間に撮ったものです

 

こちらは2005年4月1日の撮影

あんなにうじゃうじゃいたキハ30系どころか

貨物列車も姿を消してしまいました

写真を見比べてみると

自販機の上にあったテントがなくなり

ゴミ箱も変わったことが分かります

この写真から3年後、駅舎は取り壊され

現在はコンクリ製の駅舎に建て替えられてしまいました

 

ロクイチ様に結ばれた奇妙な縁

またまたご無沙汰してしまいました

 

さて、今日はロクイチ様こと

EF58 61についての思い出話です

 

鉄ちゃんなら知らぬ者はいない「ご神体」

私、鉄道雑誌などでほぼ毎月のように

その姿は誌面で拝んでいましたが

実際にこの目で見たのはそこそこ遅い時期で

1995年3月、地元の駅でのことで

ファーストショットはこの写真でした

 

折からの小雨交じりの天気の中

同僚EF58 89と重連でやってきたロクイチ様は

この駅で牽いてきた客車とお別れし

背後にたたずむEF62 54に交代したのでした

「友人A」を通じて数ヶ月前に知り合った「友人B」に

このとき、この駅で偶然再会したのは

その後の奇妙な縁の始まりだったのかもしれません

 

その後、その「友人A」「友人B」とともに

当時所属していた鉄道クラブの記念列車に乗る機会がありましたが

牽引機はロクイチ様とPFのPP

客車はあの日見たサロンエクスプレス東京でした

お金がない貧乏学生だったもので、手元にその写真はありません

その年の秋、「友人A」とは両毛線お召運転で同行

写真はリバーサルフィルムのラチチュードの彼方に消えました

「友人B」とは中央本線お召試運転撮影でまた偶然再会したり

三国峠の向こう側に現れたロクイチ様を撮るために

「友人A」と水力発電所脇の斜面を必死こいて登ったり

いくつかの紆余曲折を経て

ようやくまともにリバーサルフィルムでロクイチ様を写せたのは

1998年のクリスマス間際の地元の駅

あのファーストショットの位置の向こう側でした

 

世紀が新しくなってからもまだ奇妙な縁は続きます

ロクイチ様はまたも次位につながれて

何とも頭のおかしな編成で

地元の駅に現れたのでした

 

このときのロクイチ様は三重連のど真ん中に封じ込められて

ご尊顔を拝見するチャンスはまったくありませんでした

 

ロクイチ様の走る姿を一番見たのは2006年9月

今度は長野の客車を牽いていました

 

復路は大正橋で捉えるものの

曇天で張りのない写真に仕上がってしまいました

 

もっと納得のいく写真が撮りたいと思って

翌日、沿線の駅で撮ってみるも

これまた曇天で締まりのない仕上がり

 

ならばもうここしかねぇ!と

愛機をすっ飛ばして一か八かで追いついた先で

キメた流し撮りが私にとって

最高のロクイチ様走行写真となりました

 

走るロクイチ様を最後に撮ったのは2007年3月

4年後の同月同日に大震災が起こることなど誰も知らず

まだろくに再開発される前の高崎操車場で撮ったものです

 

最後尾にはEF64 36を従えて

あの懐かしい色のままの客車を牽いて

ロクイチ様は私の目の前から去っていきました

 

あれから15年半

現役時代に見ることが叶わなかった

旒の日章旗を掲げて

ロクイチ様は鉄道博物館にて静態保存となりました

 

私がロクイチ様に感じてきた多くの想い

その一つにもに気付かぬ様子で娘氏はただ笑っていました

いつか、この機関車の美しさが分かってくれたらいいですね

 

そんな鉄道博物館での公開初日

私はロクイチ様の前で「友人A」と偶然の再会を果たすこととなりました

ロクイチ様は相変わらず、奇妙な縁を取り持つようです

 

あのロクイチ様の公開初日ということで

とんでもなく混むかと思ったら

昨今の状況に伴い予約制の入場のため

拍子抜けするくらいにまったりした雰囲気でした

 

ちょいと横を見れば

かつて多くの人々の眼前を颯爽と通り過ぎていった

あの頃の雄姿がそのままでそこにありました

そこには、鉄路を吹き抜けていった風すらも

一緒に身にまとっているような姿のロクイチ様がいました

 

夢の終わり

いやぁ、来ましたねぇついに

来るべきものが来たというか・・・

 

いえね、某所でこのポスターを見かけた瞬間は

狭窓流電キマシタワァ*・゜゚・*:.。..。.:*・゜(n’∀’)n゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*!!!!!

なんて思ったんですけどね

一呼吸も二呼吸も、いや五十呼吸くらいしたあとに

改めてポスターの内容を読んで見ましタラバガニ

飯田線シリーズ 旧形国電 最終章・第1弾」とか

どっかの月刊じゃなくなった鉄道雑誌の特集タイトルを

思わせるような文句が書いてあるじゃないですか

しかも「第2弾 クモハ52(2次車)2023年登場、フィナーレへ」

とまで書いてあって、言葉にならない声が出ました

あぁそっか、終わりますかー・・・

第3弾はないんですかね

クモニ13026は出ないんですかね

クモニ83101と102は出ないんですかね

面白いスタイルで個人的に好きなクハユニ56001は

同じくクモハ54007は、112は、123は

クハ68401は、クモル23050は・・・

言い出したらきりがない話ですが

模型でほしいクルマは際限なく挙がってきます

このあとは、開発データを流用して

身延線大糸線シリーズもやってほしかったですね

 

そんなわけで、来年模型化が発表されたクモハ52003

もう20年近く前、グリーンマックスのキットを組んで

接合部にパテを擦り込んだだけの仕掛かり品ですが

こやつを今後どうしたらいいんでしょうかねぇ・・・

都に沼の増えるごとく

丸二ヶ月近く、ブログを書かない間に

また一つ歳を取りました

女房殿のお金で資料本を買いましたが

これがまぁ何というか、濃すぎる内容でして

一言で言えばまさに「沼」なのですね

そもそも旧型客車自体が沼なのは当然なのですが

こうした資料本の内容を理解するために

必要な知識という武装の段階でもう大変なもので

新型客車に分類される12系、14系、24系、50系などに至っては

簡潔すぎると言っていいくらいのレベルだったりします

地元ネタはあんまりないのですが

客車の歴史を理解するためには

うってつけの本かもしれません

62といえば

62といえば

地元を駆け抜けたEF62をはじめ

ED62とかモハ62とかいろいろありますが

あえて触れておきたいのが、C62です

 

日本最大の旅客型蒸気機関車、C62

動いているC62を見たのは、高1の夏が最初で最後です

友人のカメラマンに誘われて初めて渡道した初日に

銀山の稲穂峠でC62 3を撮ったのでした

知識として知っていたのは

現役時代のC62重連がこの地を走っていたこと

遠くからジェット機のような音をたててやってくること

そしてそれは今なお伝説として語られていること

鉄道雑誌で読んだそれらの話を思い出しながら

初めて訪れた路線の沿線で、C62はどんな姿を見せてくれるのか

ドキドキしながら待っていたのを覚えています

 

C62は、鮮烈な印象を残して目の前を通り過ぎていきました

スハフ44の重厚なジョイント音

息がつまるくらいの煙を残して・・・

 

復路は塩谷の駅でじっくりC62を見る機会に恵まれました

上越線D51やC58、真岡鐵道のC12しか知らない私には

この日本最大の旅客型蒸気機関車

とても大きく、とてもかっこよく見えました

 

当然のことですが、スハフ44の観察も忘れません

C62の後ろに連なる5輌の客車を撮っているうちに

青15号の旧型客車のかっこよさにも目覚めてしまいました

 

撮影を終え、地元に帰ってきてから数年後

カトーさんのC62を手に入れた私は

銀河モデルさんのパーツを取り付けまくって

あの日のC62の再現にいそしんだのでした

 

そりゃまぁ、加工したのが前世紀なのですから

あちこちパーツがへたってきたり色が剥げたりしますが

加工から24、5年を経た今でも

「かっこいいなぁ・・・」と自画自賛してしまいます

魂込めて加工しましたからね

それくらい、あの日見たC62はかっこよかったのです

 

もちろん、現役時代の「ニセコ」仕様のC62も持っています

こちらは10年前に買ったフルリニューアル品ですが

実車が極力現役時代そのままで復活させたものなので

このままでスハフを5輌牽かせても全く違和感はありません

しいて言えば、無線アンテナと副灯のリムの色くらいでしょうか

まぁ、その副灯のリムも、手持ちの資料を見る限り

現役時代には銀メッキの色が分かるものもあるので

カトーさんのASSYパーツを使って

銀リムの副灯に換えてもいいかなと思っています

それにしても、こうやって見比べてみると

旧製品も現行製品に負けていないディテールしてますねぇ

おっと、もげかかった標識灯だけは直さないと・・・

放置してます

いえ、このブログのことではなく・・・

 

ED75は大好きな機関車でして

信越日本鉄道では機関車としては

2番目に多い輌数を誇っています

その数、実に18輌

1位はEF81の23輌。まぁオールラウンダー電機だししょうがない

 

さて、そんだけの数になると

各種メーカー新旧入り乱れての保有となるわけでして

持っているものが最新製品に近くなればなるほど

各部が細密化し、別パーツも当たり前になるわけです

カトーさんはありがたいことにこれだけ細密化しても

基本的にナンバーと銘板、カプラー交換だけで済みます

一方、翻ってトミックスさんはというと

ナンバー、銘板、カプラー、信号炎管、無線アンテナ、手すり・・・

さすがにちょっとげんなりしてきますねぇ

おまけに接着剤必須なものもあったりして

なかなか手を付ける気になれないでいます

 

そうして放置したまま10年ほど経過したものが

ED75だけに限らず、EF64EF65、EF81・・・

ちょっと思い出したくないくらいの数が

積みあがりつつあります

今日の写真のED75も、発売時に買ったものですから

今年の夏で丸10年が経とうとしています

そろそろいい加減に何とかしたいところですね

さらばEF60 19

大好きだった機関車がまた1輌

解体場の露と消えていってしまいました

EF60 19

言わずと知れた、高崎の国鉄電気機関車の長老でした

私がこの機関車を知ったのは30年近く前

当時お小遣いに少しだけ余裕が出てきたので

購読するようになった鉄道雑誌で情報を得ていました

動くところを拝んだ回数はそんなに多くありません

だいたいはいつも、高崎の車輌基地で寝ていました

そんなある日、ネットの趣味仲間から

「EF60 19が青くなったらしいぞ!」と情報をもらい

あわてて高崎にすっ飛んでいってみたら

確かに、庫内には塗色変更されたEF60 19が・・・

一旦その場を離れ、1時間半ほどしてから戻ってみれば

まさにおあつらえの場所に鎮座していました

その直後、標識灯は消え、パンタも下されました

本当に貴重な一瞬でした

その後、走る姿を数回撮りに出かけています

これはゆとり

ばんえつ物語は、色合いが揃っていてお似合いでした

ヘッドライトが一灯に戻されたのは、それから数年後

頻度そのものはそんなに高くはありませんでしたが

車輌基地の様子を窺いに行くと、時折留置場所が移動していました

弊模型鉄道でかれこれ10年以上在籍するこのEF60 19

カトーがラウンドハウスブランドで昔売り出したもので

細部が異なることから「EF60 19タイプ」と銘打たれていますが

それでも私には、タイプでも何でもなくEF60 19そのものです

実車が消え去っても、模型としていつまでも現役です

ところで、高崎には近年まで19のほかにいくつかEF60がいました

これは15

16はその存在がよく知られていた一輌でした

残念ながら2006年3月上旬に倉賀野で解体

この写真は、解体前日の夕方の姿です

現在、横川で保存されている501も

かつては高崎で保管されていました

手前はEF62 1、反対側はED75 39ですが

ED75 39は解体され、横川入りは叶いませんでした

ちょっとやつれた姿ですが

19亡き今、一灯ライトで車体全部が完存する唯一のEF60として

今後もその姿を伝えていってほしいものです

もちろん、先日発売の模型も弊模型鉄道で導入しています

さて、現役当時を高崎で過ごしたEF60は

他にもまだ現存するのです

86は前頭部が群馬県内某所に個人所有のものとして現存します

気になる切断面はこんな感じ

周辺には動輪、腕木式信号機、転轍てこなども置かれています

さらにもう1輌、123

足利駅前に車体全部が完存するかたちで保存されています

EF60の最終型はEF65に酷似した車体で

珍しさはちょっと薄めかもしれません

先ほど501の項で「一灯ライトで車体全部が完存する」と書いたのは

この123の存在があるからなのです

さらにもう一つ、「一灯ライト」だけであれば

大宮工場内に茶塗りとなった47の前頭部が保存されていますが

あちらは最終配置が沼津なので、割愛します

最後に、高崎留置中に見られたPトップとの並びを一枚

こんな姿も、もう見ることができないのですね・・・